
人質と若き騎士
ニオは窓辺の椅子に座り、刺繍枠に針を走らせていた。黄金色の柔らかな髪が朝の光を受けて淡く輝き、伏せたまつ毛が頬に小さな影を落としている。彼の指先は慣れた動きで布地の上を滑り、白い生地には可憐な花の模様が少しずつ浮かび上がっていた。 退屈だった。人質としてこの城に連れてこられてから、もう何ヶ月が経っただろう。監視はいるが、誰も彼に深く関わろうとはしない。敵国の姫として扱われる彼に、宮廷の人々は必要以上の接触を避けていた。 扉がノックされたのは、そんな静寂を破るようにだった。 「失礼します」 入ってきたのは見覚えのない若い騎士だった。金褐色の髪を低い位置で結び、オレンジ色の瞳がわずかに好奇心を宿している。鎧は新しいが、どこか着慣れていない印象があった。 「今日からあなたの見張りを務めるロビンと申します」 騎士はそう名乗り、部屋の隅に立った。ニオは軽く会釈を返し、再び刺繍に視線を落とした。新しく来た監視役など、どうせすぐに...
Story context
World description
魔法が存在する階級社会。敵国は魔法技術が非常に発達しており、強力な軍事力を持つ。基本的には他国に干渉しないが、挑発には徹底的に報復する気質を持つ。宮廷は華やかだが、厳格な規則に縛られている。
Initial situation
あなたはニオ。双子の妹の身代わりとして敵国に人質として囚われている。今日も退屈な日々を過ごしていると、見張り役の新米騎士が現れた。どうやら彼はあなたに興味があるらしい。
Objective
身分を隠し、無事に祖国へ帰ること。しかし、見張り役の騎士との交流がそれを複雑にする。
Chapter samples
1Chapter 1▾
ニオは窓辺の椅子に座り、刺繍枠に針を走らせていた。黄金色の柔らかな髪が朝の光を受けて淡く輝き、伏せたまつ毛が頬に小さな影を落としている。彼の指先は慣れた動きで布地の上を滑り、白い生地には可憐な花の模様が少しずつ浮かび上がっていた。 退屈だった。人質としてこの城に連れてこられてから、もう何ヶ月が経っただろう。監視はいるが、誰も彼に深く関わろうとはしない。敵国の姫として扱われる彼に、宮廷の人々は必要以上の接触を避けていた。 扉がノックされたのは、そんな静寂を破るようにだった。 「失礼します」 入ってきたのは見覚えのない若い騎士だった。金褐色の髪を低い位置で結び、オレンジ色の瞳がわずかに好奇心を宿している。鎧は新しいが、どこか着慣れていない印象があった。 「今日からあ...
ニオは窓辺の椅子に座り、刺繍枠に針を走らせていた。黄金色の柔らかな髪が朝の光を受けて淡く輝き、伏せたまつ毛が頬に小さな影を落としている。彼の指先は慣れた動きで布地の上を滑り、白い生地には可憐な花の模様が少しずつ浮かび上がっていた。 退屈だった。人質としてこの城に連れてこられてから、もう何ヶ月が経っただろう。監視はいるが、誰も彼に深く関わろうとはしない。敵国の姫として扱われる彼に、宮廷の人々は必要以上の接触を避けていた。 扉がノックされたのは、そんな静寂を破るようにだった。 「失礼します」 入ってきたのは見覚えのない若い騎士だった。金褐色の髪を低い位置で結び、オレンジ色の瞳がわずかに好奇心を宿している。鎧は新しいが、どこか着慣れていない印象があった。 「今日からあなたの見張りを務めるロビンと申します」 騎士はそう名乗り、部屋の隅に立った。ニオは軽く会釈を返し、再び刺繍に視線を落とした。新しく来た監視役など、どうせすぐに交代する。今までの者たちと同じだ。 しかし、ロビンは違った。 「それは……とても細かい仕事ですね」 騎士が近づいてきて、彼の手元を覗き込む。その声音には、純粋な興味が滲んでいた。ニオは少し驚いて顔を上げる。今まで監視役が彼の刺繍に興味を示したことなど一度もなかった。 「花の刺繍が得意なんです。これは……野原のクローバーを模したものです」 「クローバー……なるほど。葉の一枚一枚に陰影がつけられていますね。まるで本物の葉っぱが布の上で揺れているみたいだ」 ロビンの言葉に、ニオの指が止まる。その褒め方は、形式的なものではなかった。本当に刺繍を見て、感じたことをそのまま口にしている。彼のオレンジ色の瞳は、嘘偽りのない輝きを宿していた。 「騎士の方は、こういうものに興味がないものかと思っていました」 ニオがそう言うと、ロビンは少し照れたように笑った。 「いえ……私はちょっと変わっているのかもしれません。でも、美しいものは美しいと素直に思うんです」 その笑顔に、ニオの胸の奥で何かが微かに動いた。双子の妹のふりをして、誰にも心を開かずに生きてきた。この騎士も、すぐに飽きて去っていくだろう。 そう思いたかった。
2Chapter 2▾
ロビンはその後も部屋の隅に立ったまま、じっとニオの手元を見つめていた。その視線は重苦しいものではなく、むしろ作品を鑑賞するような静かな関心に満ちている。 ニオは針を動かし続けながら、内心で警戒を緩めないように自分に言い聞かせていた。この騎士はただ単に変わっているだけだ。珍しい人質の姫に興味を持っただけに過ぎない。そう自分に言い聞かせても、ロビンの言葉が心に残って離れなかった。 「あの……もしお時間があれば、ですが」 ロビンが遠慮がちに口を開いた。 「この城の東側の庭園に、今とても美しいバラが咲いているんです。姫様が刺繍の図案をお探しでしたら、一度ご覧になってみてはいかがでしょうか」 ニオは針を止めた。庭園に出る許可は、これまで一度も与えられたことがなかった。監視...
ロビンはその後も部屋の隅に立ったまま、じっとニオの手元を見つめていた。その視線は重苦しいものではなく、むしろ作品を鑑賞するような静かな関心に満ちている。 ニオは針を動かし続けながら、内心で警戒を緩めないように自分に言い聞かせていた。この騎士はただ単に変わっているだけだ。珍しい人質の姫に興味を持っただけに過ぎない。そう自分に言い聞かせても、ロビンの言葉が心に残って離れなかった。 「あの……もしお時間があれば、ですが」 ロビンが遠慮がちに口を開いた。 「この城の東側の庭園に、今とても美しいバラが咲いているんです。姫様が刺繍の図案をお探しでしたら、一度ご覧になってみてはいかがでしょうか」 ニオは針を止めた。庭園に出る許可は、これまで一度も与えられたことがなかった。監視役はいつも「部屋の中だけでお過ごしください」と冷たく言い放つのだ。 「私が外に出ても、構わないのですか?」 「俺が一緒なら問題ありません。俺はあなたの見張り役ですから」 ロビンは悪びれずにそう言って、いたずらっぽい笑みを浮かべた。その表情には、騎士らしい堅苦しさが一切なかった。 ニオはしばらく迷った。人質としての立場を考えれば、無暗に動くのは危険だ。しかし、この閉じ込められた部屋の空気に、彼はもう飽き飽きしていた。窓から見える空の色だけが、彼を外界につなぐ唯一のものだった。 「……少しだけ、なら」 ニオがそう答えると、ロビンのオレンジ色の瞳がぱっと輝いた。 「では、参りましょう」 ロビンが扉を開ける。廊下には誰もいなかった。ニオは立ち上がり、軽くスカートの裾を整えてから歩き出した。心臓が少し早鐘を打っている。この騎士は本当に信用できるのだろうか。それとも、何か罠があるのだろうか。 だが、ロビンの背中は迷いなく、どこか楽しげですらあった。彼の歩調はニオに合わせてゆっくりと、まるで散歩に誘うかのように。
3Chapter 3▾
東側の庭園に出ると、陽光が柔らかく降り注ぎ、風に乗って甘い香りが漂ってきた。ニオは思わず足を止める。整然と植えられたバラの花壇が、視界いっぱいに広がっていた。深紅、淡い桃色、純白、そして珍しい橙色の花びらが、緑の葉の間から顔をのぞかせている。 「綺麗……」 思わず声が漏れた。ニオはゆっくりと花壇に近づき、しゃがみ込んで一輪のバラを覗き込んだ。花びらの縁は繊細に波打ち、朝露がまだ一粒、芯の近くで光っている。指で触れたい衝動を抑え、ただじっとその造形の美しさに見入った。 ふと隣を見ると、ロビンも同じようにバラを見つめていた。だがその視線は、花全体ではなく、一枚一枚の花びらを追うように、細かく動いている。騎士の分厚い手袋をはめた指が、そっと、しかし躊躇いがちに伸びて、一輪...
東側の庭園に出ると、陽光が柔らかく降り注ぎ、風に乗って甘い香りが漂ってきた。ニオは思わず足を止める。整然と植えられたバラの花壇が、視界いっぱいに広がっていた。深紅、淡い桃色、純白、そして珍しい橙色の花びらが、緑の葉の間から顔をのぞかせている。 「綺麗……」 思わず声が漏れた。ニオはゆっくりと花壇に近づき、しゃがみ込んで一輪のバラを覗き込んだ。花びらの縁は繊細に波打ち、朝露がまだ一粒、芯の近くで光っている。指で触れたい衝動を抑え、ただじっとその造形の美しさに見入った。 ふと隣を見ると、ロビンも同じようにバラを見つめていた。だがその視線は、花全体ではなく、一枚一枚の花びらを追うように、細かく動いている。騎士の分厚い手袋をはめた指が、そっと、しかし躊躇いがちに伸びて、一輪の淡い桃色のバラに触れた。 「……この色、好きなんです」 ロビンがぽつりと言った。その声は、これまでの軽やかさとは違って、少しだけ柔らかく、内側から滲むような響きがあった。 ニオは驚いて彼の横顔を見る。ロビンはまだバラを見つめたまま、口元に穏やかな微笑みを浮かべていた。他の騎士たちは、花や草などに目を向けることなどほとんどなかった。武器や戦術、あるいは退屈そうな会話が彼らの関心のすべてだった。だがこの騎士は違う。 「騎士の方で、花を好まれる方は珍しいのですか?」 ニオが尋ねると、ロビンははっとしたように顔を上げ、すぐに明るい表情に戻った。 「ええ、まあ……同僚たちは花より酒と女の話ですからね」 そう言って笑うが、その笑顔の奥に、一瞬だけ寂しげな影がよぎったように見えた。ニオはその表情を見逃さなかった。この騎士は、何かを隠している。自分と同じように。 ロビンは誤魔化すように、別のバラの前で立ち止まった。今度は深紅の、ビロードのような質感の花だ。 「こっちも綺麗ですよ。姫様の刺繍の図案に、いかがですか?」 そう言って振り返った彼のオレンジ色の瞳には、もう先ほどの陰りはなかった。だがニオの胸には、小さな疑問の棘が残ったままだった。




